ハーグ条約の真実
ハーグ条約の趣旨
ハーグ条約は、「子どもの親権をどちらがとるか」を決めるものではありません。常居所国で、きちんと法的手続きをとるための手続き規定です。
夫婦が別れる場合には、「きちんと子どもの将来のことを話し合う」ことが、子どもの福祉に適うという考え方が背景にあります。
管轄権を決定するだけのものである以上、その決定は迅速にすべきものです。ハーグ条約が6週間以内に常居所国への返還を決定するよう求めている(※1)のは、このような趣旨からです。
(※1)締約国の司法当局は、迅速な返還手続きを行う。6週間以内に決定できない場合は、遅延理由を明らかにする(ハーグ条約第11条)。
【参照1】外務省によるハーグ条約の解説
「子の連れ去りをめぐる『ハーグ条約』と日本」
「わかる!国際情勢 2012年1月26日 Vol.82」
【参照2】参議院外交防衛委員会調査室から発表されたハーグ条約に関する論文
「深刻化する国際的な子の連れ去り問題とハーグ条約」
「立法と調査 2012.3 No.326」 参議院外交防衛委員会調査室 加地 良太氏
国際的な子の連れ去り問題の背景・現状、ハーグ条約の概要、日本政府の対応等の紹介後に、日本の条約締結をめぐるこれまでの議論が整理されています。
ハーグ条約についての誤解
子どもを連れ去った親が子どもを返還すれば、二度と子どもに会えなくなる訳でもなく、また、返還させなかったからと言って、子どもを連れ去られた親が二度と子どもに会えなくなる訳でもありません。単に、監護者を決定するための裁判の管轄権を決定するだけです。
返還する場合でも、しない場合でも、法的手続きに基づき、養育費と面会交流について、きちんと決定することとなります。
ハーグ条約は、どちらの親が監護者となるべきかを決定するものではありません(※2)。仮に、子どもが返還された場合でも、常居所国で、法的手続きがとられ、その結果、常居所国以外の国に子どもの移動が命ぜられることもあります。
また、裁判所が返還させないという決定をした後に、子どもの監護者を常居所国に住む親とする決定を裁判所がすることも可能性としてはあります。
このように、ハーグ条約は管轄権という手続き的な部分を定めた条約でしかないにも関わらず、あたかも実体法であるかのように誤解されています。
そのため、返還の適用除外を広範に認めようという動きや、三審制をとるなどという議論になっています。
管轄権を決定するだけなのですから、返還の適用除外は、子どもを連れ戻した場合に、連れ去った親と子どもの生命又は健康に、明白かつ急迫の危険性がある場合に限る必要があります。その上で、子どもの生まれ育った環境であり、子どもの監護者をいずれとすべきかを調査・決定するに一番相応しい常居所国において、いずれの親を主たる監護親とすべきかを決定すべきなのです。
(※2)監護の権利に関する判断の禁止(子が現に所在する国の裁判所は、監護の権利の本案についての決定しない)(ハーグ条約第16条)。
ハーグ条約の誤解が生じる原因
このような誤解が生ずる原因は、実は日本の裁判所の運用にあります。
1)原因その1
現在、日本の裁判所は、親権の問題について、管轄権は「裁判所に申立てられた時点で、子どもの居る場所」としています。
そして、管轄権を有する裁判所は、予算と調査官の労力などを勘案し、できるだけコストをかけずにできる調査をし、その調査から導き出せる結論しか出しません。
本来、児童虐待があったかどうかや監護の実態などを調査しようとするのであれば、夫婦と子どもが同居していた際の環境を調査しなければなりません。
しかし、子どもが、かつて住んでいた場所から遠方に連れ去られ、その場所で連れ去った親が訴えた場合、管轄する裁判所は、遠くの場所まで調査できません。その結果、調査が不要である「継続性の原則」を適用したり、意思能力が十分に認められない乳幼児の「意思」を尊重したり、連れ去った親が主張する配偶者暴力(DV)を本人の主張のみで認定することとなります。
そして、それらの「調査結果」は、全て子どもを連れ去った側に有利に働き、連れ去った親は、「親権」を獲得できることになります。すなわち、日本においては、自らの住む場所の裁判所に管轄権があること=親権を獲得できること、となっているため、国際的にも同様と考え、単なる管轄権を決定するための手続き規定を骨抜きにしようとする動きが日本国内で働くのです。
2)原因その2
子どもの返還が決定し、管轄権が常居所国となった瞬間に、子どもを連れ去った親は、二度と子どもに会えなくなるという恐怖心は、あやまった誤解によるものです。子どもが返還され、常居所国に住む親に子どもの監護権が付与される決定がされた場合であっても、子どもと別居することとなった側の親は、十分な面会交流(長期休暇は父親側と子どもが一緒に過ごすなど)が認められることとなります。渡航費や宿泊費などの財政的な問題で実体上、面会交流に苦労する部分はあるとは思われますが、その点は何らかの財政的援助などを講ずるなど、ハーグ条約締結に併せて検討すればよい二次的問題であり、この点を強調して加盟自体を反対するのは本末転倒なのです。
このような誤解が生ずるのは、日本では面会交流が事実上、全く担保・保障されているものではないからです。裁判所は、連れ去り親の拒否感情などを理由とし、一切の面会交流を子どもと別居親に認めない例や年に3回子どもの写真を送付することをもって面会交流と主張する審判も未だに数多く報告されています。また、仮に、欧米なみに年100日(隔週の週末+長期休暇の半分)の面会交流(※3)を子どもと別居親に認めても、それを守らない同居親に面会交流を強制する手段は、間接強制(※4)のみしかありません。
このような日本の現状を前提に、多くの学識経験者、弁護士、裁判官、メディアが、「ハーグ条約に加盟し、返還を認めると、子どもを日本に連れて帰ってきた日本人が可哀相。」とのイメージが作られています。しかし、日本と異なり、諸外国では、面会交流についての規定が整備されており、そのような心配は杞憂なのです。
(※3)国際社会の面会交流は、全米では100日を平均とする基準、カリフォルニア州では年間180日を基準、欧州ではほぼ半々の交流時間(養育時間)が基準である。
(※4)義務を実行させるために、金銭を強制的に徴収して圧迫を加える処分。その時点から将来の履行を確保するもので、過去の義務違反に対する制裁ではないから、過去の不履行には課せない。
ハーグ条約のその他の誤解
1)「ハーグ条約に批准すると、DV被害者の親が加害者である配偶者(通常男)に殺されかねない。」という誤解
このような誤解は、二つの原因に由来します。
一つ目は、少なくともハーグ条約加盟国の多くは、日本と異なり、DVは刑事罰となっています。警察に通報すれば、まずは、一時的に逮捕され、調査の結果、刑務所に入れられることになります。一方、日本では、裁判所に訴え、DVが認められた場合であっても、接近禁止命令しか出されません。本当に凶悪な配偶者は、接近禁止命令などを出しても、そのようなものは無視するのです。すなわち、日本のDVに対する法制度は、本当にDVで困っている者を助けられる制度にはなっていません。他人であろうが、身内であろうが、暴力は暴力であり、暴力行為に対しては、刑事罰として毅然と対応するのが、ハーグ条約加盟国の大半である欧米諸国の例です。言葉の問題などもありますが、日本でいう所の110番をすれば、まずは、警察が来て逮捕してくれるので、その後、安心して、通訳などを介して、事情を警察や検察官、弁護士に相談することができます。
また、DVに対するサポートは、日本以上に充実しています。(外務省・在サンフランシスコ日本国総領事館HP【子の親権問題について~国境を越えた子の連れ去り問題について~】参照)
配偶者によるDVで、身の危険を感じたら、日本に逃げるよりも、現地で110番をするのが、もっとも迅速かつ安全です。そして、相手方が警察に拘留され、刑事罰が決定すれば、外国であっても、自分の親権が奪われることはありません。さらに、欧米では、面会交流は義務として認められていますが、過去の暴力行為などにより、子どもの引き渡し時に、危険が伴う場合は、第三者が子どもの引き渡しの仲介をしたり、監視付きの面会交流となるため、心配はありません。
そのような法制度の違いを全く考慮せず、日本の未熟なDV防止法制度と同様の制度しか整備されていないものと認識し、「ハーグ条約加盟国に戻ったら配偶者に殺される」などと考えることは全くの誤解なのです。
(外務省・在サンフランシスコ日本国総領事館HP【生活習慣の違い等に関する注意事項】)
「家庭内暴力(ドメスティック バイオレンス)-当地では、DVに関する法律が日本以上に厳格に運用されており、家庭内での夫婦喧嘩の際、口論の末に物を壊したり、思わず手を出してしまった行為などは、警察が介入して犯罪として厳しく処理(逮捕、処罰)されます。いつ、いかなる時であっても、また、いかなる理由であっても、暴力は許されないことを再認識し、無用の拘束を避けるようにしましょう。」
二つ目は、いわゆる「DV冤罪」の問題です。子どもを一方の親が連れ去った後に、虚偽のDVを捏造して、自らの連れ去り行為を正当化しようとすることは、日本国内でも見られます。なぜ、そのようなことが許されるかといえば、これは、日本のDV防止法制度の問題なのです。
日本では、DVがあったという場合に、警察が介入することは原則ありません。そして、DVの被害を受けたと言えば、第三者が調査することなく、接近禁止命令を裁判所が出してしまいます。さらには、日本では、DVの概念が非常に広く、3年前に、目の前で浮気相手とメールをしている妻の携帯をとって二つに割った夫が、それを理由にDVで訴えられ認定されるなどのとんでもない裁判例まであります。よく「DVがあったことを証明するのは難しいから証拠を求められると困る」という話がありますが、それは、大声を上げた、無視した、などまでDVに含めようとするからです。
それらをDVと呼ぶことは構いません、程度を考え、接近禁止命令の対象とすべきものか、離婚事由となるようなものか、子どもとの引き離しを正当化できるものかを丁寧に衡量しなければなりません。子どもともう一方の親との引き離しを正当化するような甚だしいDVであれば、通常は、近所の人なり、あるいは病院に行くなりの証拠が全くないということはありえません。そして、そのようなものであれば、警察に介入してもらい傷害罪などで逮捕してもらうべきです。特に欧米諸国であれば、前述のように、そのような体制は十分に整っている。また逆に、相手を刑事罰にまで陥れようとするような悪質な虚偽のDVの訴えに大しては、誣告罪などを適用し、罰すべきです。当たり前の話ですが、立証が難しいからと言って殺人罪を「とりあえず」適用するということはありません。罪刑法定主義と証拠主義が、DVについては徹底されていないのが、今の日本の現状です。そして、その法の穴を利用して親権を獲得しようとする親が後を絶ちません。
ハーグ条約の中央当局の在り方に関する懇談会第3回会合において、谷弁護士は以下のように述べています。「DVもさまざまな内容と程度があるわけであり、子どもに対して危険のない親子関係の場合には、配偶者に対する暴力があったとしても、子どもとの関係はさまざまな場面で交流する機会を内容に応じてつくっていくべきであるだろうと思うのですが、今の制度の下では,保護命令が出れば一切の子どもと加害者とされた親との交流が不可能になるという建付になっています。これが一番大きな問題だろうと思います。そういう制度の下で現実にどういう問題が生じているかといいますと、この点も誤解のないように申し上げますが、当然、DVの被害から保護されなければならない事例がたくさんあるということを前提にしつつ、逆にそうではなくて、離婚の裁判なりの中で自らの立場を有利にするためにDVの保護命令の申立てをします。そこには事実があればいいのですが、事実がないような場合、あるいは事実があってもそれを誇張してDVの申立てをして、保護命令をとるという例も見受けられるようになってきました。それが言わば1つの行動パターンと実務上はなってきていると思います。」
また、池田弁護士も、自らが扱った案件について言及する中で、「先ほどから家庭内暴力、DVのお話が出てきましたが、私は父親の代理人なので、名誉のために申し上げておきます。先ほどの人身保護請求の中では、アメリカの裁判で親権者となった父親からの人身保護法に基づく引渡し請求は認めらませんでした。却下になりましたが、一部報道によりますと「DVを受けた母親が」と書いてありますが、実はDVがあったと主張しているのは母親だけであり、先ほどのお話の中で、一見優しそうで、まさかこの人がと思われる男の人が暴力を振るうことが多いという御指摘がありましたが、そのように一見優しそうでまさかこの人がと思われる男の人だと言わせていることが実はうそだというのが、我々の主張であります。」と述べています。
ハーグ条約に加盟した場合には、このような非常に問題が多い日本のDV関連の法制度・裁判運用を国際関係にまで拡大することになります。アメリカの国務次官補は、平成23年9月4日の記者会見で、以下のように述べています。
「日本の政府や国会には、条約加盟や事件対応に反対するグループがあるが、大半は誤解や知識不足に基づく。配偶者暴力(DV)の主張は大抵、根拠なく使われている。子を失った上に虐待者扱いされるのは非常に痛ましい。」
実際のところは、DVがあったかどうかは不明ですが、水掛け論になった場合、連れ去った者勝ち、DVを主張した者勝ちという現行の日本の現状と全く変わらない状況となるのであれば、ハーグ条約に加盟した意味がなくなります。したがって、DVがあったかどうかを返還事由として、日本が国内法に適用するとしても、DVがあったかどうかについては、子どもの常居所国で警察などにより調査してもらうよう協力してもらうべきです。逆に、日本からハーグ条約締約国に子どもを連れ去り、DVや児童虐待などの主張を連れ去った親が主張する際には、日本の警察等は、その主張の根拠となる事実があるかどうかを調査すべきです。また、DVのおそれが完全になくならない状況で、返還を命ずべき場合は、親権者などを決定するまでの間は、居所を別にするなどの措置をとれるようにすべきでしょう。さらには、冤罪の温床となっている日本のDV防止法についても、先進国の水準と同様のものとするために、改正に向けての検討をすべきです。
2)「子連れ別居・里帰りは日本の文化であり、これを禁止することは、欧米社会の価値観の押し付けである」という誤解
この点については、2点の指摘をします。
まず第一は、「これは『文化』の問題ではなく、『文明』のレベルの問題」であるということです。子どもを母親の所有物かのように扱う傾向があることは、日本人のメンタリティとしてあるかもしれません。かつて、アメリカにおいて、子どもと一緒に心中を図った日本人の母親が、母親だけ助かった際に、子どもへの殺人罪に問われたという事件がありました。その際に浮彫となったのが、子どもが乳幼児であろうと、一人の人間として扱う欧米社会の文化と所有物として扱う日本社会の文化の違いでした。日本人の母親は「子ども一人を残して、自分だけ死んでは子どもは不憫だ。」という気持ちであったかもしれません。自分のお腹の中に何か月も居て、さらに、24時間一緒にいるような生活であれば、自分の一部として考えてしまうことも心情的には分からない訳ではありません。しかし、そのようなことで、物ごころつかないうちに殺された子どもは、たまったものではないでしょう。
この主張に違和感を覚える人は、例えば、次のようなことを考えてもらいたいと思います。インドにサティという風習がありました。日本語では、「寡婦殉死」と訳されますが、「寡婦が夫の亡骸とともに焼身自殺」する風習で、これは「貞淑な女性は夫とともにすべき」という価値観であり、「女性は、男性の所有物」という価値観に基づくものです。現在、このような風習がインドに残っているかどうかは分かりませんが、仮に日本人女性がインド人の男性と結婚しインドに住んでいたとして、その男性がなくなった時に、その女性が殉死を強要されたらどうでしょうか。これを「文化」と呼び、我々は尊重すべきかどうでしょうか。我々日本人の感覚では、これは人権侵害であり、そのような野蛮な風習は止めるべきと主張するでしょう。
実は、ハーグ条約の背景には、同様の問題があるということを理解してもらえますでしょうか。子どもを連れ去る親は、当然のことながら、その配偶者とは一瞬であっても同じ空気も吸いたくないし、その配偶者は、心の底から憎んでやまない存在です。そして、子どもを連れ去られる親にとっても、通常は、同様でしょう。
しかし、子どもにとっては、両方とも大切な親であり、両方と一緒に居たいと考えている場合が多いはずです。親の気持ちと子どもの気持ちは異なるのであり、子どもと親とは別の人格です。物心がついていない子どもであっても、その後、成長した時に、自分の親が一人しかいないということに満足するでしょうか。子どもを連れ去って帰国した親は、自分は満足でしょうが、自分が満足と思うからと言って、子どもも満足していると思うのは誤りです。
ハーグ条約は、前文で、「子の利益が最も重要であることを深く確信し」と書かれているように、子どもの幸せを第一に考える条約です。すなわち、夫婦の間でどのような葛藤があろうとも、それは夫婦の間の問題であり、子どもに責任はないのであり、夫婦間の葛藤による影響はできる限り子どもには及ぼすべきではないという前提にたっています。
そして、このような考え方は、日本が既に批准している子どもの権利条約においても採用されているものです。その前文において「児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め」と謳い、第9条第1項で「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」と同条第3項で「締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する。」と規定していることは、上記のような趣旨に基づくのです。
11月10日のJapan Timesによると、日本政府のパブリック・コメントに、欧米の6か国が「日本政府のハーグ条約に関する中間報告はハーグ条約の枠組みから逸脱しており、(ハーグ条約において)子どもの返還を拒否できるのは、子どもたちが返還された場合に子どもが『重大な危険』に直面する時のみとされており、配偶者への暴力やその他の理由は適用されない」との見解を寄せたとのことです。
すなわち、ハーグ条約は、「親」と「子ども」とを別に人格と見て、子どもには子どもの権利があるという前提に立ち、「子どもの利益」を第一に考えるのです。そして、「配偶者の不利益」=「子どもの不利益」ととらえ、それを子どもの返還拒否事由とすることは、ハーグ条約の枠組みを逸脱することになるのです。
この主張は、決して「配偶者への暴力」を許すということを意味する訳ではありません。それは、「別の枠組みで議論すべき」ことであり、子どもを連れて常居所国に戻り、DVの問題はDVの問題として、その国の法的枠組みに基づき、きちんと法的手続きをとるべき、ということです。
このような主張に対する反論として、「DVを子どもの目の前で見せることは児童虐待」であり、「DVは子どもの利益にも反する」との主張があります。確かに、そのような場合もあるでしょう。しかし、子どもを連れ去るような状況に至って、再び同居をするということはまず考えられません。したがって、別居を前提とする以上、少なくともその後は「DVを子どもの目の前で見せる」という状況は想定されないでしょう。そして、DVが、子どもの精神状態に『重大な危険』を及ぼす場合とは、よほどの場合です。夫婦喧嘩で大声を上げることは、決して、子どものためにはなりませんが、それが全て『児童虐待』と言ってしまえば、世の中で、『児童虐待』をしていない家庭は、ほとんどないのではないでしょうか。
さらに、本当に「子どもに重大な危険」を及ぼすような配偶者暴力を防止すべき場合があるとしても、そのような配偶者暴力を振るっていた者が、子どもを連れ去って帰国した場合、現在は、何らの対処のしようがないのです。「児童虐待」を行っている親が、子どもを連れ去った場合も同様の問題が生じ、子どもは、虐待をしている親の下におかれた状態となりますが、もう一方の親が、そこから子どもを助け出す手立てがないのです。(日本国内においても、一方の親が、子どもが虐待されていることを児童相談所に相談したことが、もう一方の親に伝わり、子どもが連れ去られるという事態が起きています。それに対し、子どもを連れ去られた親は、何らの措置もとることができず、助けようとすると逮捕されるのが、現行の日本の法制度・裁判の運用です。)
このような状況を改めるためには、法的手続きに則り、一番の弱者である子どもの利益を第一に考えて、夫婦の間で話し合いをすることです。
さて、子どもと親の利益が異なることの認識が不十分である例をもう一つ挙げます。
「浮気をした者は、子どもに会う資格はない。」という発言をどう思われますか。それはその通りと考える人はおそらく多いと思います。しかし、これも子どもを別人格と考えればおかしいことに気づかれるでしょうか。例えば、子どもを虐待をしている父親と、子ども思いの男性と「浮気」をしている母親がいて、その子どもは、母親とその「浮気相手」の男性になついていたらどうでしょうか。
不貞をはたらいている以上、その母親は責められるべきであり、離婚は免れず、慰謝料をはじめとして離婚をする際には夫に対し様々な償いをしなければならないでしょう。しかし、父親に親権を与え母親と子どもを会わせないことは、子どもの利益にはならないことは明らかです。
このような極端な例を敢えて持ち出しましたが、このような限界事例を想定してみることで、我々の中にある「誤解」が見えてくるのではないでしょうか。
さて、第二点目です。それは、「子どもの連れ去りは日本文化の問題ではなく、合理的な行動の結果である」ということです。
その話をする前に、しばしば誤解されている重大な間違いを指摘します。これは、しばしば新聞記事などにもみられますが、この条約の対象は「国際結婚」だけではないということです。ハーグ条約の規制する対象は、「国境を跨いだ子どもの連れ去り」行為です。
確かに、数としては国際結婚が多いのは間違いありません。しかし、日本人夫婦が外国に住んでいて、一方が子どもを連れて日本に帰国するというケースもしばしば聞く話です。さらには、日本に全く住んだことも来たこともないアメリカ人の女性が、アメリカ人の配偶者に無断で子どもを連れて日本に移り住んだ例もあります。
なぜ、そのようなことが起こるのでしょうか。それは、まさに、アメリカやフランスが国会で決議を出したように「日本は拉致を容認する国家」体制となっているからです。欧米人であっても、子どものためとはいえ、面会交流の日取りを決めるためなどに、別れた配偶者と接触をとることを苦痛に感じる親は数多く居ます。離婚をするのだから当然です。欧米に移り住んだ日本人同士の夫婦が、その国で離婚した場合もありますが、その場合でも、子どもを両方の親に会わせています。その日本人同士が、欧米に移り住んで、意識が変わったからではありません(そのような側面も否定はできませんが)。それが、ルールであり、面会交流を履行しなければ、親権(監護権)を奪われるからです。
欧米では離婚後も共同で親権を有する制度(いわゆる共同親権制度)を採用している国が大半ですが、児童虐待がある場合などは、親権を剥奪されます。「面会交流の妨害」は、子どもの両方の親に会う権利を奪う行為であり、甚だしい場合は「児童虐待」とされます。また、児童虐待と認められない場合でも、自分の気持ちと子どもの気持ちを分離できず、自らの元配偶者への拒否感情により子どもともう一方の親との面会交流を拒否する親は、親としての適格性を有しない、とされるのです。したがって、嫌々ながらでも、面会交流をさせている親も少なからずいるのです。
「子連れ別居」「里帰り」は当たり前だと思う親も欧米社会でも当然います。子どもを自分の所有物かのように思う親も当然います。しかし、そのような意識に基づく行動を許さないルールがあるのが、日本と異なるところです。
隔週で、子どもを一方の親に引き渡す行為や、子どもと旅行に行く際に、元夫(元妻)に、いちいち了解をとらなければならない制度は、煩わしいものです。しかし、子どものことを第一に考えたルールを作ることで、そこから逸脱する行為を規制しているのです。
そこで、「こんな面倒くさい国は嫌だ。」と考え、日本に逃げてくる親が出てくるのです。
また、欧米人家族が、夫の勤務地が日本になったことに伴い引っ越してきた後、日本国内で夫に子どもを奪われ子どもと十分に会えなくなった女性もいます。この夫婦が日本に来ることなく、欧米の元住んでいた国に居れば、この母親と子どもは引き離しの悲劇に遭わずに済んだはずです。
また、後述するように、ハーグ加盟国でもある欧米の国出身の男性が、日本人女性と結婚し日本に住んでいる状況下で、子どもを自国に連れ去るケースも最近はしばしば聞きます。
ここから分かるのは「連れ去り」(子連れ別居、里帰りなど呼び方はどのようなものでも構わないですが)は文化でもなんでもなく、連れ去りをすることにより不利益を被る仕組みとなっていなければ、人種・性別に関わらず、誰でもする可能性があるということです。
これは、ゲーム理論でいうところの「囚人のジレンマ」と言われる状況であり、個々人が合理的行動をとった結果、総合的には不利益が生じるケースの典型例です。
これはどういうことかと言えば、双方に相手を裏切る可能性がある場合で、裏切られた場合の損害が甚大である場合、相手よりも先に裏切ることが合理的な行動となるということです。
「子どもの連れ去り」についていえば、夫婦として協力して子どもを養育していた場合、相手が、その協力を拒否し、子どもを連れ去った場合、二度と子どもに会えなくなるおそれがあるとします。
そして、連れ去られた場合に、法的手続きにより子どもを取り戻せる可能性もなく、さらに、自力で子どもを連れ戻そうとすると逮捕され、場合によっては懲役刑まで科せられるとすれば、一番合理的な行動は、「相手が子どもを連れ去る(=身柄を確保する)前に、自分が子どもを連れ去る」ということになります。
数年前に、子どもを日本人の妻に奪われたアメリカ人の男性が、日本に来て子どもを取り返そうとして、日本の警察に逮捕される事件が起きました。このように、「日本に子どもを連れ去れば、子どもと離れることは絶対になく、さらに、一方の親との面会交流などの面倒なやりとりをしなくて済む。」のであり、さらには、日本政府は、子どもを連れ去られた親が取り返しに来たら「逮捕」してくれるのです。
そのようなアンバランスな法制度・裁判の運用を日本国は採用していることから、前述の元夫婦間で葛藤のあったアメリカ人は、「そうだ、日本に逃げ込もう。」と考え実行したのでしょう。
国際社会の抜け穴を見つけて逃げ込んだそのアメリカ人の母親を、我々は非難する資格はありません。そのような法の抜け穴を放置しておいた日本国民の問題です。
そもそも、法とは、そのような「囚人のジレンマ」を解消するためにある道具です。「人を殺せば、法執行機関が殺した人間を死刑にする」というルールがあるから、人殺しが一定程度、抑制できるのであり、「婦女暴行をしたら、刑務所に入れられる」というルールがあるから、そのような行為が、一定程度、抑制できるのです。
すなわち、人を殺せば、自らの生命を失うという自分にとって多大な不利益を被ることが予想できるので、「殺人」の衝動に駆られた者も、それを抑えるのです。その結果、我々は、街中でいきなり刺されたり、暴行を受けたりする不安を抱えずに生活できるのです。
これが「法治国家」です。
しかし、家族に関わる世界(いわゆる家事)については、日本は完全な無法状態です。仮に、日本がこのような無法社会でなければ、欧米諸国はこれ程「ハーグ条約」に入るよう日本に強く要請しなかったでしょう。欧米諸国から子どもを連れ去った日本人に対し、欧米諸国に住むもう一方の親が、日本に来て裁判を起こし、親権(監護権)をとり戻すことができていれば、あるいは、親権(監護権)を奪われても、欧米諸国のように年間100日程度の面会交流が保障されていれば、問題はそれ程深刻にはならなかったでしょう。
つまり、後述するようにこのハーグ条約の問題の本質は、実は、日本の家事関係の国内法及び裁判の運用の問題なのです。
そして、この日本が「連れ去った者勝ち」の仕組みとなっているため、日本人と結婚し、日本国内に居住している外国人に対しても、同様の問題を引き起こしており、さらには、どう少なく見積もっても、日本国内では数十万組の日本人親子が引き離しに遭っています。
ハーグ条約で問題となっている構図は、日本国内の構図と全く同じであり、他人事ではないということに留意すべきです。そして、ハーグ条約を機に、日本も「法治国家」となり、国内が本当に「子どもを第一に考える社会」へと変貌することが求められているといえるでしょう。現在の日本の国内法の不備と日本の裁判所の運用の欠陥から「連れ去り天国(haven)」になっているのが、今の日本の現状であり、決して「日本人の文化」が「子どもの連れ去りを容認」している訳ではないのです。
したがって、日本に子どもを連れ去った親を「日本の文化である里帰り」なのだと擁護する者も、「日本は拉致を容認する文化を有し、ずるい国民であって北朝鮮と変わらない」などと批判する者も、ともにピントがずれているのです。子どもを連れ去った親は、現行の環境において「合理的な行動」をとっただけであり、同様の状況下におかれれば、全ての人間が同様の行為を行う可能性があるのです。言い換えれば「子どもを連れ去るなどという乱暴な行為を行うことは、子どもが可哀そうだ」などと考え、連れ去りを躊躇すると、結局は子どもを奪われるのです。
現在、加害者として非難されている子どもを連れ去った親は、一歩、連れ去りが遅ければ、もう一方の親に子どもを連れ去られ、現在は、子どもを連れ去られて会えない被害者であった可能性が高いと思います。一瞬でも、夫婦の一方に子どもを奪われる不安がよぎり、そして、日本の制度・裁判所は子どもを奪われた親を決して助けてくれないという事実を知った瞬間から、破局に向かって進むのであり、合理的に考えれば、もとの幸せな家庭に戻ることは決してありません。そして、その一番の被害者は「子ども」です。
そのようなことを考えると、繰り返しになりますが、憎むべきものは、「先に子どもを連れ去らなければ、相手に連れ去られて二度と会えなくなるかもしれない」という建付となっている日本の法律と裁判所の運用の在り方であり、これが、多くの子どもたちや子どもを奪われた親を苦しめている元凶であって、子どもを連れ去った日本人を非難しても、何の解決にもならないのです。
以上より明らかであると思いますが改めて申し上げると、「連れ去りは日本の文化」ではありません。日本の法制度の不備・裁判所の不適切な運用を文化に被けてはならず、それは全くの誤解です。
現在の議論の問題点
このように、日本がハーグ条約加盟を機に、日本における裁判所の運用を改めることを前提とすれば、多くの人たちが誤解している上記のような問題は解消されるのです。すなわち、常居所国において、主たる監護権者を決定する場合においても、日本人が不利となることもなく、また、監護者とならなかった場合でも、面会交流は十分に認められるのであり、過剰に不安になることはありません。
外国において裁判をやることは手間がかかり、費用もかかることを理由として、子どもの連れ去りを正当化しようとの議論もあります。しかし、これが随分と身勝手な考え方であるのは明らかです。子どもを連れ去られた親が、連れ去られた先の国で裁判をやることは、より一層の手間と費用がかかります。連れ去る側の親が、そもそも日本以外の国に住んだのは自らの意思なのです。そして、その環境において、相当期間は暮らしていたのです。自らの母国ではない国で、裁判を行うことは大変であるのは言うまでもありませんが、それは、もう一方の親も同様であり、さらには住んだこともない国で裁判を行う方がはるかに大変です。
ただし、連れ去りを禁止すると同時に、その国で裁判を行う場合のサポート体制を日本政府は当該国と協力して構築すべきではあります。また、外国において、外国人であるということを理由に、不利な取り扱い・判決結果が出されるようなことがあれば、その点は、政府間で、きちんと調整し抗議すべきです。
以上述べてきたことは、日本の裁判の運用が変更するという前提にたっており、当然、ハーグ条約に加盟するということは、相互主義に則り、日本の国内の裁判所の運用も180度転換することを意味します(特に、管轄権や面会交流についてはそうです)。
しかし、諸外国からは、依然として日本政府の対応に対し、批判的であるように見えます。それは、日本政府が、日本の現行の裁判所の運用を是とし、「連れ去った者勝ちで、面会交流を一切認めない」ような日本のローカル・ルールを外国にまで押し付けようとしているように見えているからでしょう。そのような外国政府の批判は的外れです。仮に、日本の裁判所が諸外国とは異なる裁判所の運用をした場合には、諸外国から非難されるだけでなく、「相互主義」に基づき制裁的措置がとられると予想され、そのようなことが予想される以上、日本の裁判所も従来のような裁判所の運用を続けることは不可能となるからです。
例えば、日本からアメリカに子どもを連れ去った親は、その親と子どもを日本に返還する運用をアメリカの裁判所はする一方で、日本にアメリカから子どもを連れ去った親は、その親と子どもをアメリカに返還しない運用を日本の裁判所がしたらどうなるか、敢えて説明するまでもありません。
前述のように日本の裁判所は、客観的証拠が全くないにもかかわらず配偶者暴力や児童虐待を訴える親の主張をそのまま認容しています(※5)が、そのような運用を仮に続けることがあれば、諸外国からの非難は必至です。そして、相互主義の観点からは、日本から子どもを連れ去ってきたアメリカ人のケースについては、「日本の裁判の運用」に倣い、アメリカ人の日本人配偶者による児童虐待の主張を客観的証拠なく事実認定し、子どもの返還を認めないというケースも出てくるおそれもあります。
また、ハーグ条約加盟後も、日本に子どもを連れ去られた場合には、返還の決定までに何年もかかる上に、返還の決定がなされることもなく、面会交流も認められないということが事実として世界中で明らかになれば、ハーグ条約加盟国は、日本人と国際結婚した者の親権者(監護権者)決定のための裁判において、現在と同様に、日本人に親権(監護権)を与える決定もせず、また、日本への子どもの面会交流も認めることもなくなるでしょう。
現在、オランダのハーグにあるハーグ条約事務局では、各国の運用状況が調査され公表されています。ハーグ条約に入ることで、日本の裁判所の運用の問題点は浮き彫りになり、ハーグ条約加盟国80カ国以上から非難されることになります。そのような状況が予想される以上、日本の裁判所は、ハーグ条約加盟国と同様の裁判所の運用に変更せざるを得ないのです。
(※5)平成23年5月26日開催の参議院法務委員会で、「合意なくして一方的に子供を連れ去る行為とか、あるいは連れ去った後にこれを取り戻されないように虚偽のドメスティック・バイオレンスの申立てをDV防止法に基づいて行うようなことも実際にはある」との指摘がされました。
ハーグ条約に対する論点の誤り
さて、このハーグ条約については昨今ようやく議論がされるようになってきましたが、マスコミの記事や賛成・反対どちらの意見にも、論点を正確に捉えているものは少ないように思います。
反対派の主な主張は、DV(ドメスティック・バイオレンス)を奮う暴力夫から逃げ帰ってくる日本人女性が多いからだというもので、賛成派はそのような具体事例は確認されていないとしています。
確かに今のところそのような事例は確認されていないようですが、あり得るケースとして想定はしなければならないでしょう。
しかし、ここで言いたいのはそういったことではなく、想定される例外に対する対応というのが、この条約の善し悪しを評価する論点として適当なのか?ということです。
返還を拒否する理由というのは、あくまで例外をどう決めるかということであって、条約の本来の目的や原則ではありません。
それなのに反対派に引きずられたためか、賛成派もこうした枝葉の部分ばかりで争っていて、論点がずれているように見受けられます。
では、どこを論点にして議論をすればよいかと言うかということですが、やはりこの条約の根本的な理念や原則から丁寧に議論をして行かなければならないと思います。
そうすると、最初の論点は以下に集約されると思います。
1 離婚などで両親が争っているとき、どちらかの親が相手に黙って勝手に子どもを連れ去ってしまうことがいいのか悪いのか? 2 今まで子どもが育ってきた環境(連れ去った先のことではありません。両親と同居していた元の環境のことです。)から、一方の親が強引に移動させてしまうことがいいのか悪いのか? 3 離婚は縁切りという観念から、離婚後の親子関係を十分に保障しない日本の制度がいいのか悪いのか。
という点になるかと思います。
現実として、1を黙認するのが日本の裁判所で、特に「母親が子連れで実家へ帰るのは当たり前やろ」という意識が強いように思いますが、いやいやそれはダメでしょう、というのがハーグ条約の理念なわけです。
2も同じような感じですが日本の裁判所は、一応連れ去りはよくないとは考えるものの、1を当たり前とするため、母親が連れ去った(例外的に父親の場合もある)時点を出発点として考え、連れ戻しに行った親が逮捕されるというケースが国内で続出しています。
ハーグ条約では、最初も次もない、同居時の場所を基準にしてどちらも一切連れ去りをするな、となっているため、この部分が理論的に今の日本の現状と衝突します。
3についてはハーグ条約の21条で保障されている「接触の権利」というものですが、離婚後の親子関係はどうあるべきかという考え方の問題で、十分な交流が保障されるべきだという国際標準の考え方がハーグ条約の基礎になっていますが、これも限定的な関係しか認めない日本の裁判所(一般の人たちということではないですよ)の考え方や制度的不備と衝突します。
こうした点を踏まえたうえで、条約の原則の是非を論じるところから入って行くことが必要ですし、返還拒否の理由ばかりを議論していたのでは、条約の善し悪しや必要性は見えなくなってしまうと思います。
結論
以上のように、日本の裁判所の運用が、ハーグ条約に併せて、「子どもの最善の利益」に適った運用に変わる以上、これまでの日本の裁判所の運用を前提とした、ハーグ条約加盟に「慎重」な人たちの主張も、ハーグ条約を骨抜きにしていると批判する諸外国政府などの主張も、いずれも的を射たものとは言い難いのです。
したがって、ハーグ条約については、一刻も早く加盟すべきです。
更新 2012-10-16 (火) 00:10:43
アクセス数
総計:93643 今日:1 昨日:6